様々なサービスにおいてオンライン上の顧客接点が増えた今、自社のウェブサービスやアプリの使い勝手を改善したいとお考えの方は多いのではないでしょうか。新規ユーザーの獲得だけでなく、既存ユーザーの満足度を高めることは、ビジネスの成長に欠かせない要素です。しかし、具体的に何から手をつければいいのか悩んだり、データをどう評価して改善施策につなげればよいか迷ったりするケースは少なくありません。そこで注目されているのが、GoogleのUXリサーチチームが開発した「HEARTフレームワーク」です。本記事では、HEARTフレームワークを活用してUI/UXを改善するメリットや、具体的な取り組み方法、事例について詳しくご紹介します。読了後には、自社サービスの改善に向けた具体的なヒントが見つかるはずです。 1.HEARTフレームワークの概要 HEARTフレームワークは、GoogleのUXリサーチチームがユーザーエクスペリエンス(UX)を多角的に評価するために開発した指標です。ユーザーの満足度から利用度合いなどの数値データまで、幅広い観点で測定できる点が特徴といえます。従来のアクセス解析では把握しきれなかった「継続利用」や「ユーザー満足度」といった指標も重視することで、より包括的な評価を可能にするのがポイントです。 また、HEARTフレームワークではサービス全体だけでなく、特定の機能ごとに指標を設定し、それぞれのデータを集めて分析することが可能です。これにより、利用者がどの部分でつまずいているのか、どの機能を気に入っているのかなど、より具体的な情報が把握しやすくなります。開発チームとデザイナーやマーケティング担当者が共通言語を持って議論できるため、改善提案の質とスピードが向上する点も魅力です。 さらに、HEARTフレームワークは定量データを重視することで、感覚的・主観的な議論に終始しないように設計されています。仮説を立てたうえで実際の数値を見ながら検証する流れが確立されるため、根拠をもとにしたUX改善が実行しやすくなります。単なる一時的なアップデートにとどまらず、継続的にサービスを成長させていく仕組みづくりに貢献します。 2.HEARTフレームワークの5つの要素 HEARTフレームワークは、その名称の頭文字を構成する5つの要素から成り立ちます。これらの要素を組み合わせて測定・分析することで、サービスやプロダクトがユーザーにどのように受け入れられ、どのように使われているかを多面的に把握できます。以下では、それぞれの要素について詳しく解説します。 2-1.H:Happiness(満足度) Happinessは、ユーザーの満足度や好感度を示す指標です。具体的には、ユーザーアンケートやNPS(Net Promoter Score)などを用いることで、サービスやプロダクトに対する感情的な評価を数値化します。ユーザーがポジティブな印象を持ち、高い評価を下している場合はリピート利用の可能性が高まり、周囲への推薦にもつながりやすい傾向があります。反対に、否定的な評価が多い場合には、UIや機能面の不具合、サポート体制などの改善余地を見直すきっかけとなるでしょう。 2-2.E:Engagement(積極性) Engagementは、ユーザーがどれだけ積極的にサービスを活用しているかを示す指標です。例えば、1人あたりの平均利用時間や、特定の機能の使用頻度、1日におけるアクセス回数などが該当します。サービスやアプリを単に開く回数だけではなく、滞在時間や操作の集中度合い、SNSへのシェア状況なども総合的に検討すると、ユーザーが抱いている興味・関心の深さをより正確に捉えられます。エンゲージメントが高いユーザーは、製品やサービスのファンになりやすく、周囲への好意的なクチコミを生み出す可能性も高まります。 2-3.A:Adoption(導入率) Adoptionは、新規ユーザーの導入率や、既存ユーザーが新しい機能を使い始める割合などを示します。新規ユーザーがどの程度スムーズにサービスに参加しているか、あるいは既存ユーザーが新機能をどれだけ積極的に取り入れているかが重要なポイントです。導入率が高ければ、オンボーディングプロセスやプロモーション施策が効果的に機能している可能性が考えられます。一方、導入率が低い場合は、サービスの認知度不足やUIのわかりにくさなど、課題を洗い出して対策を講じる必要があります。 2-4.R:Retention(継続率) Retentionは、ユーザーが長期的にサービスを利用し続けている割合を示す指標です。アプリやウェブサービスを使い始めても、一定期間を経て離脱するユーザーが増えてしまうと、ビジネスとしての安定が難しくなります。継続率が高ければ、サービス価値がしっかりとユーザーに伝わっていると考えられ、ビジネスの持続的な成長が期待できます。 加えて、継続率を語る際には「一度離脱したユーザーが戻ってくる割合(リテンション・リカバリー)」にも注目する必要があります。たとえば、30日以上アクセスしていなかったユーザーが再び利用を開始した場合にカウントする復帰率や、休眠ユーザーを対象にしたメール施策・プッシュ通知によるリワクティベーション率などが代表的な指標です。これらを追跡することで、単に離脱を防ぐだけでなく、過去のユーザー基盤を資産として再活用する視点が得られます。 離脱ユーザーの復帰を促す施策としては、パーソナライズされた再訪キャンペーン、期間限定のインセンティブ、機能追加の案内などが挙げられます。重要なのは、ユーザーが離脱した根本原因(操作性の課題、価値提案の不一致、コミュニケーション不足など)をデータから特定し、それを解消するメッセージや体験を提供することです。継続率と復帰率をセットでモニタリングし、両方を改善するアプローチを取ることで、ユーザーライフサイクル全体を最適化できます。 2-5.T:Task Success(タスク成功率) Task Successは、ユーザーがサービス内で目的の操作やタスクをどの程度達成できているかを表す指標です。具体的には、特定の機能を利用する際にかかる時間、エラーや失敗の回数、途中で離脱してしまう割合などが該当します。たとえば、ECサイトでの購入フローを完了するまでにどのくらい時間がかかったのか、途中でカートを放棄してしまうユーザーがどれだけいるのかといったデータを測定することで、UI・UXのボトルネックを発見できます。タスク成功率の向上は、最終的にはユーザーの満足度や売上向上にも直結するため、非常に重要な要素といえます。 3.GoogleにおけるHEARTフレームワーク導入手法 Googleは数々のサービスを展開していますが、すべてにおいて共通して大切にしているのがユーザーの声を定量的に捉え、継続的に改善する姿勢です。HEARTフレームワークが考案される前から、Googleは大規模なユーザーリサーチやA/Bテストを実施していました。しかし、ユーザー満足度や継続率などを一元的に分析する指標が必要だと痛感し、HEARTフレームワークが開発されたと伝えられています。 導入にあたっては、まずサービスや機能ごとに「どの指標を優先すべきか」を明確化しました。すべてのプロジェクトで同じ基準を強制するのではなく、各プロダクトチームが独自の目標を設定し、そこで役立つ指標をHEARTフレームワークの中から選び出すアプローチを取っています。たとえば、検索エンジンではタスク成功率(T)が重視される一方、YouTubeでは視聴時間などのエンゲージメント(E)が重視されるといった具合です。 また、Googleではユーザーデータの収集と分析を大規模に実施しつつ、プロトタイプの段階からユーザーテストを繰り返すことで、潜在的な改善点を早期に見つける体制を整えています。これにより、リリース後に大幅な仕様変更を行うリスクを抑えながら、継続的にUI/UXを進化させることが可能になっています。このように、HEARTフレームワークはGoogleの根幹を支える評価方法として定着し、同社のサービス品質向上に寄与し続けています。 4.HEARTフレームワークを導入するメリット HEARTフレームワークを活用する最大のメリットは、UX改善の取り組みを客観的かつ体系的に進められる点です。従来は「どこをどう改善すればよいか」「どの程度のインパクトがあるのか」を感覚値で議論してしまい、施策の優先度を適切に決められないケースが多く見られました。HEARTフレームワークでは、HappinessやEngagementなどの具体的なデータをもとに成果を測定できるため、改善策の立案や意思決定がスムーズになります。 また、チーム内外で共通言語として活用しやすいこともメリットの一つです。開発者やデザイナー、マーケティング担当など、関わるメンバーが違う視点を持ち寄る場合でも、HEARTフレームワークをベースに話し合うことで「指標の意味を統一しやすい」環境を作れます。結果として、議論の軸がブレにくくなり、施策実行後の効果検証もスピーディに行いやすくなるでしょう。 さらに、継続率や満足度などの重要指標をモニタリングし続けることで、問題発見の早期化と対処の迅速化が期待できます。サービスの長期運用においては、新たな機能追加やUI変更に伴うユーザー離脱リスクが常に存在しますが、HEARTフレームワークの指標を定期的にチェックしていれば、異常値が出た段階で速やかに原因を特定できます。これにより、企業はサービスの質を落とすことなく、ユーザーに寄り添った改善を重ねられるようになります。 5.HEARTフレームワークの活用手順 ここからは、実際にHEARTフレームワークを導入・活用する際の手順を4段階に分けて解説します。自社のサービスやアプリに合わせて、段階的に進めることを意識してください。 5-1. 目標設定 最初に、サービス全体のビジネスゴールや、各機能が担う役割を整理し、どのような成果を狙いたいのかを明確にします。サービス全体のビジネスゴールを分解し、HEARTそれぞれの指標毎の目標に落としてゴールを設定します。この段階を曖昧にしたまま進めてしまうと、後々「何のために指標を追いかけているのか」が不透明になり、改善策の優先度や方向性がぶれてしまいます。たとえば、ユーザー数拡大を目指すのか、既存ユーザーの満足度を高めて継続率を上げたいのか、具体的なゴールを設定することが大切です。 5-2. 測定指標の選定 目標が定まったら、HEARTフレームワークの5つの要素(Happiness、Engagement、Adoption、Retention、Task Success)から、自社の目的に合った指標を選びます。複数の指標をすべて計測しようと欲張るのではなく、特に重要と考えられる要素に注力するとよいでしょう。たとえば、新機能の告知を行った直後であればAdoptionに注目したり、既存ユーザーの離脱を防ぎたい場合はRetentionに重点を置いたりするのが一般的です。また、各要素のゴールが決まった後は、シグナル→メトリクスの順番に分解してどのように測定するのかの指標を決定しましょう。指標が決定したら、測定に必要なデータを収集できる仕組みやツールの確認も忘れずに行いましょう。 5-3. データ収集と分析 測定指標を決めたら、実際にユーザー行動データやアンケート結果などを収集し、定期的に分析します。収集ツールとしては、Google AnalyticsやFirebaseなどのアクセス解析サービス、アプリ内分析ツールの活用が挙げられます。アンケートやヒアリングなどの定性調査を組み合わせることで、数値データだけではわからないユーザーの感情や背景も捉えやすくなります。分析段階では、指標同士の関連性や時間経過による変化に着目し、ボトルネックや改善すべき箇所を洗い出しましょう。 5-4. 改善策の立案と実行 最後に、分析結果をもとに具体的な改善策を立案し、実際に実行へ移します。たとえば、タスク成功率が低い場合はUIを直感的にわかりやすいデザインに変更する、新機能のAdoptionが低い場合はチュートリアルを充実させる、といったアクションが考えられます。実行後は必ず指標を再測定し、施策がどの程度効果を発揮したか検証します。効果が確認できなかった場合は、仮説を見直したうえで次の改善策に取り組むというPDCAサイクルを回すことが重要です。 6.実際の活用事例 HEARTフレームワークはGoogle内部だけでなく、多くの企業やプロジェクトで導入され、その効果が実証されています。ここでは、Googleの主要サービスを例に挙げながら、実際にどのような成果が得られたかを見ていきましょう。 6-1.Gmailの受信トレイのデザイン変更 Gmailでは、受信トレイのユーザービリティ向上をめざし、デザイン変更を行うにあたってHEARTフレームワークを活用しました。具体的には、Happiness(ユーザーの満足度)とTask Success(メールのチェックや返信といったタスクのスムーズさ)に注目し、ユーザーが抱えやすい「どのメールに優先的に対応すればいいかわからない」という課題を洗い出しました。その結果として受信トレイを分類するタブ機能を追加し、ユーザーが効率的にメールを仕分けできるように改善しました。その後の分析では、メール開封率や返信速度が上昇しただけでなく、ユーザーからの好意的なフィードバックも増えたとされています。 Gmail では Engagement 指標として「週 5 日以上の利用率」を採用し、長期リテンションとの相関を確認しています(Rodden ほか, 2010) 。 受信トレイ UI の大規模刷新は 2013 年の「タブ付きインボックス」導入に始まり(Google, 2013) blog.google、 2018 年には添付ファイルのワンクリック表示やスヌーズ機能などが追加されました(Google, 2018) blog.google。6-2.Google Docsのコラボ機能 Google Docsにおいては、ドキュメント共有やリアルタイム共同編集といったコラボレーション機能が価値の核となります。そのため、チームメンバーがスムーズに共同作業を行えるかどうか、Adoption(新機能の導入率)とEngagementを測定・分析しながら徐々に改善を進めました。ユーザー調査で「コメントや変更履歴がわかりにくい」という声が上がった際には、表示方法を変更し、誰がどの部分を修正したのかがひと目でわかるように工夫しました。こうした細やかな改善の積み重ねにより、企業や教育機関を中心に継続率(Retention)を高め、グローバル規模で導入が進んだのです。 GoogleDocsでは、Engagement を測るために、Work Insights の「Docs/Sheets/Slides 共同編集率」を参照しており、(Google, n.d.-a) 、さらに「30 日アクティブ→7 日リピート率」を Adoption/Retention 指標として追加しています(Google, n.d.-b) Google ヘルプ。 UI 改善のきっかけとなった Docs の新機能群は、公式ブログで詳しく紹介されています(Icacan, 2017 ; Trautman, 2021)。 blog.google① blog.google②7.まとめ HEARTフレームワークは、Happiness(満足度)、Engagement(積極性)、Adoption(導入率)、Retention(継続率)、Task Success(タスク成功率)という5つの要素からなる包括的なUX評価手法です。Googleが多彩なサービスで実践してきた実績があることからも、ユーザーを正しく理解し、的確な改善策を打ち出すうえで非常に有効であることがわかります。さらに、HEARTフレームワークの導入により、チーム内外で指標の意味を共有しやすくなり、PDCAサイクルを回しながら継続的にサービス品質を高められるというメリットもあります。 自社のサービスやアプリでUI/UXを改善し、継続的に成長させていくうえで、客観的かつ多面的な指標が必要です。HEARTフレームワークは、そのニーズを満たしてくれる強力なツールといえます。まずはビジネスゴールや機能の目標を明確にし、そこから必要な指標を選定するところから始めると導入もスムーズです。改善に終わりはありませんが、正しい指標をもとに議論と実践を重ねることで、ユーザーにとって快適で魅力的なサービスへと近づくはずです。